エルサルバドルの観光、歴史、文化の魅力、駐日エルサルバドル共和国特命全権大使が語る

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駐日エルサルバドル共和国特命全権大使マルタ閣下
マルタ・リディア・セラヤンディア・シスネロス閣下
(Her Excellency Ms. Martha Lidia ZELAYANDIA Cisneros)

エルサルバドル第3の都市サンミゲル生まれ。エルサルバトルの国立音楽学校で音楽教育とピアノを学ぶ一方、エルサルバトル国立大学で生物学などを学ぶ。その後子供の頃から関心のあった日本に来ることになる。きっかけは、教科書に出ていた日本が原爆の被害を受け、そこから復興したという記述に驚き関心を持つようになった。また中学生の時には日本大使館の作文コンクールがあり応募している。

1985年から日本でフリーランスの通訳などに従事。藤沢市の市立学校の講師。小学校で国際理解教育に携わった。2010年にエルサルバトル大使館の公使参事官に就任。2011年から現職。

「エルサルバドルは長い内戦の悲劇を乗り越えて、平和を願う気持ちを世界に伝えている」

日本の人に知って欲しいエルサルバドルの魅力とはなんでしょうか?

マルタ大使 日本ではエルサルバドルのことはあまり知られていないかもしれません。しかし、エルサルバドルでは日本はすごく人気がある国で、年齢問わずエルサルバドルの国民は皆、親日家です。そのことをまず日本の人々に知って欲しいですね。ですから、エルサルバドルを訪れる日本の方がいれば、誰でも大歓迎を受けるでしょう。

 仕事や観光でエルサルバドルを訪れた人が、その後もエルサルバドルとの関わりをもち続けたいと思ったという話をよく聞きます。それはとても嬉しいですね。

 エルサルバドルには、私たちならではのおもてなしがあります。まず、笑顔と明るさ、そして、辛い歴史を体験してきたことからくる強さ、懐の深さでしょうか。確かに過去の内戦など、暗い部分も多くあります。それでも、家族を思う気持ち、命を大切にすること、他の国の人々を尊敬して敬意を払うこと、そういう、人間として一番大切なことをいつも忘れず、しっかりと前を向いて生きている国民だと思います。

エルサルバドル国旗
エルサルバドル共和国の国旗。

エルサルバドルの観光についてはいかがでしょうか?

マルタ大使 日本人からするとエルサルバドルって、遠い国だと思うかもしれません。でも、実は日本からアメリカに観光に行く人は多いじゃないですか。そして、アメリカ国内でいくつかの都市を訪ねようとしているなら、エルサルバドルにも立ち寄って欲しいんです。そう考えると、意外とそんなに遠くないですよ。もうひとつのポイントは、エルサルバドルは中米のハブ空港、南米への中継地のような役割を果たしています。どこか南米の国に行く場合も寄ってもらいやすいんです。さらには、エルサルバドルの通貨はコロンと米ドルなんですが、実際はドルでほぼすべて大丈夫なんです。その点でも観光には便利ですよね。

 さらに付け加えるなら、国の規模が小さいから短時間でいろんなものを観られるんです。たとえば、昼間は海に遊びに行って、その後にはショッピングができるし、次の日は山に行って、その後に車で1時間も走れば遺跡や素晴らしい景色を存分に楽しめるんです。火山もありますし、スペインの植民地時代の建物も残っているし、スペイン人渡来以前の文化についての遺跡や博物館もあります。

なるほど、小さい国だからこそ、名所観光からショッピング、レジャーまで短期の滞在でも何でも楽しめるんですね。

マルタ大使 お薦めの観光名所としては、サルバドール・デル・ムンド(Monumento al Divino Salvador del Mundo)という街のシンボルになっている巨大なキリスト像があります。また、画家フェルナンド・ジョルト(Fernando Llort)の工房アルボル・デ・ディオス(El Árbol de Dios)は、彼の作品を見れるだけでなく、民芸品などを買うこともできます。さらにサンサルバドル市のメトロポリタン大聖堂(Metropolitan Cathedral)に行くと、エルサルバドルの現代史がわかります。そこにはオスカル・ロメロ大司教(Óscar Romero)のお墓があるのです。大体、海外の重要人物がエルサルバドルを訪れるときはそこへ行かれます。エルサルバドルと日本との外交関係樹立80周年のお祝いの際には、眞子親王もその大聖堂を訪ねていますよ。

フェルナンド・ジョルト(Fernando Llort)の作品。
フェルナンド・ジョルト(Fernando Llort)の作品。写真・FArchbishop Romero Trust
オスカル・ロメロ大司教(Óscar Romero)
オスカル・ロメロ大司教。

オスカル・ロメロ大司教について、教えていただけますか?

マルタ大使 エルサルバドルの現代史を知る上で最も重要な人物です。もちろん、国民的な英雄として、いまもエルサルバドルの国民の人気を集めています。実は、1980年3月24日に彼は暗殺されてしまいました。なぜなら、その当時、一部の富裕層だけを優遇する軍事政権が国民を苦しめていて、ロメロ大司教はキリスト教のミサを通して、国民を苦しめないでください、国民を殺さないでくださいと訴えていた。ごく少数の人たちが国の90%くらいの富を独占していて、権力者はその人たちの利益を守るために、国民を激しく弾圧していました。国民の多くは政治に参加して状況を変えようとしていたのですが、政府からの弾圧が続き、不正選挙も頻繁に起こっていました。また人々は教育も医療も受けられないそんな状況に、これは変えなければいけないと思っていたのです。

 国内のマスコミは政府に監視され、政府に都合の良い報道しかできませんでしたから、ロメロ大司教はラジオを通じて、エルサルバドルで国民が貧困や弾圧に喘いでおり、基本的な人権が無視されている悲惨な状況を世界に伝えました。そのことがきっかけで、彼自身、政府からは共産主義者のレッテルを貼られて、狙われるようになりました。

 ロメロ大司教自身は、真の平和主義で、富裕層とも交流.武器を持つことに反対していましたが、彼はミサの最中に殺されてしまいました。殺害者は訓練された軍関係者であったと言われています。その事件は最後の一滴で、その後、12年間の内戦に突入します。多くの人たちが国外に逃げて行きました。当時の権力者や富裕層がもう少しみんなが潤うような政策をとっていれば、内戦は起きなかったと思います。

 最終的には、やっぱり内戦を続けても解決しないとわかって武器を置いて対話することになったんですね。平和的解決になったことは、エルサルバドルという国を褒めるべきことだと思います(※1992年、平和協定への署名によって終結、この事実によってエルサルバドルは、国際社会から高い評価を得ている)。そんな歴史があって、ロメロ大司教のお墓もあるサンサルバドル大聖堂(カテドラル・メトロポリターナ)はいまも人気の観光スポットになっています。ロメロ大司教は2018年に死後38年にして列聖されたんです。列聖というのはバチカンが認めて彼は普通の人じゃなく聖人に認定されるということです。そういう歴史を知ってもらう意味でも、大聖堂はぜひ訪れて欲しいですね。

エルサルバドルで他にお薦めの観光スポットはありますか?

マルタ大使 国立人類学博物館(Museo Nacional de Antropología Dr. David J. Guzmán, MUNA)や国立劇場(Teatro Nacional de El Salvador)は建築物としても美しいです。遺跡では世界遺産のホヤ・デ・セレン(Joya de Cerén)やタスマル(Tazumal)ではマヤ文明のピラミッドもあります。あと、リゾート地としてはコンセプシオン・デ・アタコ(Concepción de Ataco)、人気のビーチはエル・ソンサル(EL Sunzal)が有名ですね。

ホヤ・デ・セレン(Joya de Cerén)
ホヤ・デ・セレン(Joya de Cerén)。写真:hija del caos

ホヤ・デ・セレン
ホヤ・デ・セレン考古遺跡。写真・Mani.Rai

エル・ソンサル(EL Sunzal)
エル・ソンサル(EL Sunzal)のビーチ。写真・Mike Vondran

赤道に近いのでけっこう暑いのかなと思ったのですが、気候はどうでしょうか?

マルタ大使 一年中、暖かく、暑いときもありますが、乾燥しているのでカラッとしています。それに朝晩は涼しくなるので、過ごしやすいですよ。

観光に適した時期はいつですか?

マルタ大使 いつでもいいんですよ。気候もずっと温暖なので。雨期はありますが、ずっと降っているわけではなく、夜に降って、もう朝には晴れている程度です。5月は、緑が溢れて、花も咲くので綺麗ですね。11月から12月にかけて、クリスマス近くなる街の飾り付けも綺麗になります。

国民的なお祭りはありますか?

マルタ大使 地域のお祭りは、毎日のようにどこかの街でやっています。パンチマルコ(Panchimalco)の花の祭りは有名ですね。エルサルバドルは、植民地時代にスペインの支配下にあったからキリスト教カトリックなんでが、そこに地域の伝統が盛り込まれて、お祭りになっているところが面白いですね。あと、9月15日は建国記念日なのでどこも休みになって、学校の子供たちがマーチをしたり、国のお祝いをしますね。

エルサルバドル料理にはどんなものがありますか?

マルタ大使 主食はトウモロコシで、トウモロコシを使った料理が多いですね。

 国民的な食べ物としてよく知られているのが、ププサ(pupusa)という、とうもろこしの粉に肉や豆、野菜、チーズなどを入れたものです。今では世界中でエルサルバドル料理として食べられていますね。もちろん、海があるので魚介類のスープ、牛肉、鶏肉、日本にはない野菜などを使った料理もいろいろありますよ。

日本とエルサルバドルで似ている思えるところはどこでしょうか?

マルタ大使 エルサルバドルは中米の日本みたいな国とよく言われています。というのは、資源がなく、国土も狭く、それでいて人口が多いから、みんなで協力して勤勉に働いていくしかないからです。

日本とエルサルバドルとの友好関係について、歴史的な出来事があれば、お教えてください。

マルタ大使 戦後、1951年にサンフランシスコ講和条約が締結されるとき、エルサルバドルは小さな国でありながら、唯一、大国に遠慮することなく、正当な主張として日本寄りの発言をしました。当時の総理大臣は吉田茂で、彼の著書にそのことが書かれています。つまり、日本が敗戦して、日本人が海外に持っている財産はすべて没収していいと講和条約にあったのです。それに対して、エルサルバドルはエルサルバドルの憲法を重視してそのことは受け入れられないと反対したのです。

 だから、そのことを明確に発言して、国連のファイルにも記録が残っています。もちろん、私自身も日本の外務省の資料館でその資料を確認しています。エルサルバドルは、小さい国なのに、いくら負けた国だからといって、憲法に違反するようなことはできないと言ったんです。エルサルバドルは大国に向かって正しいことを主張したのです。

戦前から日本と交流はあったのですか?

マルタ大使 エルサルバドルと日本の国交は1935年に始まりました。もっと親密になったのは戦後のことで、私たちは、日本の高い技術力にずっと関心がありました。最近では日本のマンガなどの文化的側面にも人気がありますね。

エルサルバドルには日本を紹介する文化施設のようなものはありますか?

マルタ大使 まだありませんが、文化センターのような、日本文化を紹介できる施設を作りたいと思っています。

将来的に日本との関係で期待していることは?

マルタ大使 大きくいうと二つあります。ひとつはエルサルバドルはいまも長い内戦の後遺症があり、前向きに頑張っていても、経済的に成長するためにはやはり海外からの投資を求めています。いろんなプロジェクトに日本の企業が参加していただきたい。そして、もうひとつはもっと多くの日本の方々にエルサルバドルに来てもらいたい。観光を通じて私たちの国をもっと知ってもらいたいんです。

エルサルバドル大使館
エルサルバドル大使館内の様子。

大使は他国の大使にくらべて、日本全国に積極的に講演に行かれています。それはなぜでしょうか?

マルタ大使 平和を願う気持ち、それが私の活動の原動力です。私の国が長い内戦で多くのものを失ったことを身をもって体験したからこそ、日本もいい国であり続けて欲しいと思っています。そのためには、第一に、日本の人々にエルサルバドルことをもっと知っていただきたい。エルサルバドルのプロモーションのためなら日本のどこにでも行きます。東日本大震災の直後も、地震から一か月後には福島や石巻に行きました。世界共通の願いは平和しかないと思っています。人々が一番求めているものは、平和。次世代を生きる子供孫に末永く幸せな人生を送って欲しいんです。

日本の新元号についてどう思いますか?

マルタ大使 実は去年、私は外交団代表としてのスピーチで「和」についてお話しました。そのスピーチの準備をしたとき、自然に思いついたのが「和」という言葉なんです。東京大空襲のあと、東京は灰の海でした。でも、その後、こんな素晴らしい東京を再建したのは日本の人々が「和」をもって一丸となり、未来に向けて協力し合ったことが重要なポイントだと思います。「和」の気持ちがなく、人々がバラバラだったらこんなに早く成長できなかったと思います。変化の激しい現代にあって、新元号には「和」のような漢字を使ってもらったらいいなと思っていたんです。そうしたら、新元号として「令和」が発表されました。このことは、ちょっと自慢したいですね。そのスピーチの記録は東京都ウェブサイトに残っていますから。

新元号の漢字のひとつを的中させたわけですね。そのことも日本への深い理解と愛情があったからだと思います。エルサルバドルと日本との「和」を持った長い友好関係にも感謝いたします。ありがとうございました。

(文・大使インタビュー写真 = 前田亮一)

■記事協力・駐日エルサルバドル共和国大使館

◆オーガナイズ・NPO法人国際芸術家センター(International Artists Centre)

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