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『ザ・ボーイズ』が映すアメリカ:後期資本主義・ファシズム・分極化の人文学的解読
1:ポスト・トゥルース時代におけるスーパーヒーロー神話の解体と再構築
Amazon Prime Videoが配信するオリジナルドラマシリーズ『ザ・ボーイズ』(The Boys)は、ガース・エニスとダリック・ロバートソンによる同名のコミックを原作とし、エリック・クリプキによって開発されたアメリカの風刺的スーパーヒーロードラマである。表層的なプロットにおいて本作は、超能力を持つ人間(スープス)が自らの能力を私欲のために乱用し、それを巨大企業「ヴォート・インターナショナル」(Vought International)が隠蔽・管理する世界を舞台としたブラックコメディおよびスリラーとして機能している。物語は、恋人をスーパーヒーローに理不尽に殺害された青年ヒューイ・キャンベルと、元CIA工作員ビリー・ブッチャーが率いる自警団「ザ・ボーイズ」が、ヴォート社の看板ヒーローチーム「セブン」と、その冷酷なリーダーであるホームランダーに立ち向かう姿を描く。
しかし、人文学の視座、とりわけカルチュラル・スタディーズ、社会学、政治学、メディア論の交差する視点から本作を分析すると、このドラマは単なる娯楽の枠を大きく越え、現代アメリカ社会が抱える後期資本主義の矛盾、ネオリベラリズムの暴力性、ファシズムの台頭、そして極度な政治的分極化に対する鋭利な社会的・政治的批評として立ち現れる。伝統的なスーパーヒーローの物語は、歴史的にユダヤ・キリスト教的アレゴリーや道徳的羅針盤としての役割を担い、弱者を救う絶対的な善として、あるいはアメリカの例外主義を肯定する神話として描かれてきた。これに対して『ザ・ボーイズ』は、そうした絶対的権威への無批判な信仰を意図的に解体し、スーパーヒーローを根本的に欠陥があり、反道徳的で、自己顕示欲に塗れた精神的病理を抱える存在として再定義している。
本稿では、本作がアメリカ社会においてどのような歴史的・社会的文脈で生産され、どのように観客に受容(あるいは誤読)されてきたのかを、エビデンスに基づき包括的に論じていく。とりわけメディア・リテラシーの二極化を体現する右派やオルタナ右翼のファン層の動向を、ひとつの社会現象として取り上げる。
2 「パフォーマンスの社会」とアンチヒロイズムの社会学的分類
『ザ・ボーイズ』の物語世界を駆動する理論的背景のひとつに、韓国出身の哲学者ビョンチョル・ハン(Byung-Chul Han)が提唱した「パフォーマンスの社会」(Society of Performance)の概念がある。この社会では、人々の行動原理は内発的な道徳や倫理ではなく、外部からの評価、とりわけメディアを通じた可視性と経済的価値に完全に従属している。
本作におけるヒーローたちは、自発的な自警団ではなく、軍産複合体や多国籍企業を体現する巨大企業「ヴォート・インターナショナル」に雇用されたライセンス社員である。ヴォート社は、軍への防衛契約を推進しながら、裏ではナチスに由来する薬物「コンパウンドV」を用いて、白人が94パーセントを占めるスーパーヒーローを秘密裏に製造している。
社会学的に整理すると、本作の登場人物群は、このパフォーマンスの社会への適応と逸脱の度合いに応じて、3つのアンチヒロイズムの形態に分類できる。
類型定義と社会的機能代表的キャラクターとその病理
根源的アンチヒロイズム(Fundamental Antiheroism)
権力の腐敗と道徳の完全な崩壊を体現する。社会的な絆が病理的で、他者への共感能力が著しく欠如している。
ホームランダー:極度のナルシシズムとサイコパス的傾向を隠し、メディア向けに完璧な偶像を演じる。ディープ:身体的魅力を利用した性的搾取を行い、計算高いPRのためにカルト宗教を利用する。トランスルーセント:透明化能力を盗撮や侵略的行為に用いる。
潜在的アンチヒロイズム(Latent Antiheroism)
当初は周囲の残酷さに無関心、あるいはシステムに順応しているが、他者の苦境や自身のトラウマに直面することで徐々に人間性を回復していく。
クイーン・メイヴ:企業の論理に押しつぶされ冷笑的になっていたが、ホームランダーの暴走を機に反旗を翻す。キミコ:実験体として獣のような暴力を振るうが、深い家族愛を持つ。
実用主義的アンチヒロイズム(Pragmatic Antiheroism)
超能力の有無にかかわらず、道徳性よりもビジネスの成果、企業のブランド維持、ダメージコントロールを最優先する冷徹な企業論理を体現する。
マデリン・スティルウェル/スタン・エドガー:人命や倫理よりも株価とリスク管理を優先し、ヒーローの犯罪行為をPR戦略で隠蔽する経営層。
この分類から明らかなように、『ザ・ボーイズ』の世界では、スーパーヒーローの存在意義は利他主義的な人命救助ではなく、高視聴率の維持、ブランドの保護、巨額の軍事契約獲得のためのパフォーマンスへと変質している。公的なイメージと私的な病理の間のギャップは、企業マネージャーによって厳格に管理される。
たとえば、スターライトがディープによるセクシュアル・ハラスメントを公に告発した際、企業側は被害者の救済よりも企業アイデンティティの保護を優先し、即座にPR戦略の転換を図って事態を矮小化した。クイーン・メイヴのセクシュアリティが発覚した場面では、彼女の個人的な葛藤は黙殺され、LGBTQコミュニティという新たなニッチ・マーケットを開拓するためのキッチュな映画のプロモーション材料として徹底的に搾取される。個人のアイデンティティすらも資本の論理に回収し、パフォーマンスの指標として消費する現代社会のグロテスクな戯画化が、ここに浮かび上がる。
3 ネオリベラリズムと軍産複合体:ヴォート社が体現する後期資本主義
『ザ・ボーイズ』の批判の矛先は、個々のスーパーヒーローの道徳的欠陥にとどまらない。彼らを生み出し、管理し、搾取する構造的な暴力、すなわちネオリベラリズム(新自由主義)と後期資本主義へと向けられている。ネオリベラリズムは、20世紀後半以降の支配的な経済・社会論理であり、福祉国家的な保護を解体し、民営化、金融化、過度な個人主義と自己責任論を推進するイデオロギーである。本作の物語は、この論理が極限まで進行したディストピアとして読み解ける。
伝統的なスーパーヒーロー映画では、ヒーローたちは巨悪を倒すために結集する。ところが本作の「セブン」は、誰がどれだけの利益分配(シェア)を得るかを巡って絶えず言い争っている。彼らの最も価値ある資産は「犯罪と戦う能力」ではなく、「より大きな富を引き寄せる能力」、すなわち集客力やグッズの売上である。初期シーズンでは、銀行強盗や大量殺人犯といった実際の犯罪者に対処する姿も描かれていたが、シリーズが進むにつれて、彼らが対峙する危機の多くはヴォート社が人為的にでっち上げたもの(スーパー・テロリストなど)であることが露呈する。ヒーローたちの実態は法執行機関ではなく、美化された映画スターに過ぎない。彼らによる人命救助は、プロのカメラクルーが待機する中で行われる、入念に計算されたメディア・スタントなのである。
さらに本作は、マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)のような現実のスーパーヒーロー・エンターテインメントと軍産複合体(ミリタリー・インダストリアル・コンプレックス)の癒着構造を痛烈に当てこすっている。メディア研究者の調査によれば、現実のアメリカ国防総省は『アイアンマン』や『キャプテン・マーベル』などの作品に資金や機材を提供しており、プロパガンダおよび軍のリクルートメントとしてスーパーヒーロー映画を利用してきた歴史を持つ。国防総省のハリウッド連絡窓口は、『アベンジャーズ』の初期段階において、劇中の「S.H.I.E.L.D.」という超国家機関が米軍よりも上位の権威として描かれていることに不快感を示し、関与を取りやめたというエピソードも残っている。
『ザ・ボーイズ』シーズン1の核心的なプロットは、民間のスーパーヒーロー・コングロマリットであるヴォート社が、防衛契約の領域に潜り込もうとする画策である。ヴォート社は、スーパーパワーを持つ兵士(スープス)を軍に売り込むことで、年間4000億ドル規模と言われる世界の兵器産業における独占的地位を一夜にして確立しようと目論む。ここで描かれるのは、国家と資本の間の複雑な関係性である。国家は資本と密接に結びつきながらも、自らの独占的な暴力装置である軍隊を私企業に明け渡すことには抵抗を示す。結果として、ヴォート社の野望を阻止するために送り込まれる「ザ・ボーイズ」自身がアメリカ政府(CIA)の支援を受けた特殊部隊であるという構図は、民主的資本主義が内包する自己矛盾の鮮やかなアレゴリーとなっている。
スターライトが企業の腐敗を内部告発しようとした場面で、彼女は別のヒーローから「金に手を出すな(You don't fuck with the money)」と脅迫される。これは、資本主義下の社会関係が能力や知性、ジェンダー、あるいは空を飛ぶ能力によって決定されるのではなく、富の生産手段を所有する者が絶対的な権力を握るというマルクス主義的な真理を端的に示すセリフだ。音速で走れる男(Aトレイン)や太陽の力を操れる女(スターライト)でさえも、独占企業と資本家階級の力の前では恐怖に震えるしかない。労働者がいかに強大であっても資本の包摂からは逃れられないという、構造的無力感の描写である。
4 資本主義リアリズムと「回収」のアイロニー:Amazonによる反資本主義の流通
『ザ・ボーイズ』の批評性を学術的に論じる上で最大のパラドックスは、痛烈な反資本主義・反企業・反独占的なメッセージを持つ作品が、世界最大規模の多国籍企業であり独占的プラットフォームでもあるAmazonによって制作・配信されているという事実である。
文化理論家マーク・フィッシャー(Mark Fisher)が2009年の著書で提唱した「資本主義リアリズム」(Capitalist Realism)は、「資本主義が唯一の実行可能な政治・経済システムであるだけでなく、それに対する一貫した代替案を想像することすら不可能になっている」現代社会の広範な諦念と閉塞感を示す概念である。フィッシャーは、資本主義リアリズムが代替案の想像不可能性を強制する一方で、奇妙なことに「ある種の反資本主義」の存在を許容、さらには奨励していると指摘する。スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek)が論じるように、ハリウッド映画やメインストリームのメディアにおいて、ヴィランが邪悪な巨大企業として描かれることは日常茶飯事である。だが、こうした身振りとしての反資本主義(gestural...
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パナソニックのビストロ最上位機が示した「鶏もも肉のアルデンテ」、家庭調理にやってきた美食の最前線
上段で鶏肉、下段でスープ。メインと汁物が1人分から同時に仕上がるスチームオーブンレンジ。パナソニックが2026年6月上旬、ビストロの最上位機NE-UBS10Eを発売する。
2026年6月上旬発売のスチームオーブンレンジ、ビストロ最上位機NE-UBS10E。ブラックの本体。
5月27日に開かれた新製品体験セッションでは、料理家の栗原心平さんがゲストとして登壇し、新機能「おまかせグリル&スープ」を実演した。鶏肉のシュクメルリ風グリルと刻み野菜のスープを、約30分で並行調理し会場を沸かせた。
体験セッションに登壇し、新機能「おまかせグリル&スープ」を実演する料理家の栗原心平さん。
ビストロの最新機種を前に、栗原さんからは電子レンジ観そのものを更新する発言「もう温めるだけの機器ではない。火を通すための調理器として使える」も飛び出した。栗原さんは、丁寧に作っても仕上がりがほとんど変わらない工程は機器に任せ、味を左右する部分にこそ手間をかければいいとコメント。「ボタン一つで誰が作っても同じ精度で仕上がる」点を評価し、プロが家電のおまかせ調理に頼ることへの抵抗を問われると「全くない」と即答した。
進化したフライ機能にも触れている。ビストロの最上位機NE-UBS10Eが、市販の調理済み冷凍フライまで対応するようになった点について、「作り置きの概念が変わる」とした。揚げてから冷凍するのではなく、自宅で作って揚げる前の状態で冷凍ストックし、食べるときにこの機能で仕上げる。弁当用のおかずや忙しい朝の段取りまで変わってくる、という見立てだ。
独自のヒートグリル皿で焼き上がった鶏肉のシュクメルリ風グリル。上段で焼き、下段でスープを並行調理する。
新しい美味さ、料理科学の最先端
筆者も体験セッションで、栗原さんが考案、ビストロが調理した「鶏肉のシュクメルリ風グリル」を実食。
完成した鶏肉のシュクメルリ風グリルと、刻み野菜のスープ。一皿で主菜と汁物が同時に揃う。
鶏もも肉は厚みがあり、火入れが難しい。家のガスレンジで肉汁を持たせたままフンワリ感を狙うと中に赤いところが残る、かといってしっかり火を入れるとパサつく、というのが定番の悩みだ。この日の鶏肉は、表現するなら「鶏もも肉のアルデンテ」だった。芯まで通っているのに、繊維がほどけるような弾力と肉汁が残っている。
一方で同席者からは、付け合わせのジャガイモがシャッキリしすぎているという声も。しかし筆者にとっては、新ジャガの食感が鶏の絶妙な火入れとよいコントラストとなり、むしろ面白いと感じた。
ここから先は私見だ。ガスレンジ、IH、レンジ加熱という火入れの土台に、炒め、揚げ、蒸しといったレイヤーが乗って料理は決まる。ビストロが見せたのは、そのどれとも違う「ビストロスタイル」と呼ぶべき仕上がりではないか。
少し褒めすぎかもしれないが、家庭の調理に新しい食の語彙が加わる可能性を感じた。フェラン・アドリアのエル・ブジが切り開いた分子ガストロノミー以降、世界の最先端ファインダイニングはスーヴィードや低温調理を使い、肉の繊維を壊さず質感そのものを設計してきた。
ヘストン・ブルメンタールのザ・ファット・ダック、コペンハーゲンのノーマ、日本ではナリサワやレフェルヴェソンスといった店が、「口中のアート」とも言われる調理科学に基づいた調理法を確立。そんな美食の前線が存在するのだ。
ましてやビストロは調理家電のトップ企業が開発した最新製品。調理科学を煮詰め、その独自の「料理表現」を完成させているなら、それは便利な調理家電どころの代物ではない。マーケティング上「便利で美味しく」に着地させているが、ユーザーが体験できるその味は、美食の最前線の可能性がある。
今回実食した鶏肉のグリルは、確実に美味かった、そして既存の調理とはどこか違う、新しい美味しさの地平を、ちょっと感じてしまったのだ(大げさで言い過ぎかも知れないが、料理をするのが好きな人がビストロで調理したものを食べたなら、このニュアンスをわかってくれると思う)。
レシピに縛られない調理への転換
独自のヒートグリル皿と20通りの加熱プログラム、スチームの組み合わせが新機能の中核。皿の裏側がマイクロ波で発熱する仕組みだ。
今回の新機能の中核は、独自のヒートグリル皿と、食材の状態に応じた20通りの加熱プログラム、そしてスチームの組み合わせだ。皿の裏側がマイクロ波で発熱する仕組みで、上段のグリルと下段のスープを並行して加熱する。1人分から対応できるのも嬉しいところ。
調理ソフトの開発拠点Panasonic Cooking@Labの明石英子さんは、20年で最大のブレイクスルーを「レシピに縛られない調理への転換」と位置づけた。単にメニューを増やしたのではなく、食材の状態や量の違いを踏まえて失敗なく仕上げる加熱制御への転換だ、と説明する。また商品企画の安井麻衣さんは、次の10年について「家庭の食を支えるパートナー、家族の一員のような存在を目指したい」と語った。設置体積は初代と比べ約68%まで小型化し、累計出荷は381万台に達している。
NE-UBS10Eのカラーはブラックとオフホワイトの2色展開。価格はオープン。
NE-UBS10Eのカラーはブラックとオフホワイトの2色。価格はオープン。便利で美味しい家電という枠の外側にもう一歩踏み出した、注目の一台だ。
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