40度の熱を出した子供のために、何度も頭を下げながら早退していく同僚。その背中を見送ったベテランの女性社員が、ぽつりとこぼしました。「私の時代は、熱くらいで早退なんて考えられなかったわよ」。X(旧Twitter)で大きな反響を呼んだこの一場面は、いま世界中の職場でくすぶっている“ある対立”の入り口になっています。
「子供の気持ちは分かります」
冷ややかなベテラン社員に、子供のいない若手社員がこう返したそうです。「母親の気持ちは分かりませんが、子供だった頃はあるので、子供の気持ちは分かります」。
この一言が、なぜこれほど多くの人の胸に刺さったのでしょうか。子供の早退をめぐる話は、これまでずっと「仕事を放り出す親」対「その穴を埋めさせられる同僚」という構図で語られてきました。けれど若手社員は、議論の真ん中にそっと別の人物を置き直したのです。高熱でぐったりして、ただお母さんに会いたいと泣いている、いちばん無力な子供を。
「私の頃は休めなかった」というベテランの言葉も、意地悪だけで片づけられません。誰も助けてくれず、子供が熱を出しても歯を食いしばって働くしかなかった時代を生き延びた人ほど、「自分も耐えたのだから」と後輩に同じ我慢を求めてしまいがちです。それはむしろ、見捨てられてきた古い傷の表れなのかもしれません。
海外も、驚くほど同じ地獄でした
「これは日本の、しかも昭和的な職場の話でしょう」。そう思いたくなりますが、海外も事情はほとんど変わりません。英語圏の巨大掲示板Redditの、働く親のコミュニティをのぞくと、同じうめき声であふれています。
6歳の娘が泣いて病院に行きたがるので休んだだけなのに、「休む人に罪悪感を植えつけることで有名な職場」のせいで、心の中はパニック発作寸前。そんな投稿には、流産している最中でも出勤を命じられた、夜中まで救急にいた翌朝に出社させられた、という体験談がいくつもぶら下がります。子供が毎月のように熱を出し、会議をミュートにして泣く子をあやす親たちは、「母親としても、社員としても落第だ」と自分を責め続けています。
独身の同僚も、限界でした
一方で、親の早退や欠勤の尻拭いをさせられる側、つまり子供のいない同僚たちの不満も、海外では限界に達しています。残業も週末も、年末年始の出勤も、当たり前のように押しつけられる。あるユーザーは、「親の同僚が“子供が病気だから在宅にする”と言って実際は日中ほとんどオンラインにならず、結局9時から17時までフル稼働して穴を埋めているのは自分たちなのに、給料は同じだ」と憤ります。「子供の病気」と並べると、自分の趣味やペットの通院は“わがまま”扱いされる理不尽も、よく語られています。
ここだけ見れば、「親 対 独身」の根深いバトルにしか見えません。けれど、Redditの議論が深まるほど、まったく別の結論が浮かび上がってきます。
Redditが出した結論は「悪いのは会社」
たくさんの人が、最後にこう指摘するのです。「誰かが休んだだけで回らなくなる職場は、十分な人員を用意していない雇用主の責任だ。従業員同士で責任を押しつけ合うのはやめよう」。
よく見れば、悪者は怠けている親でも、文句を言う独身者でもありませんでした。ギリギリの人数で回して利益を最大化し、誰か一人欠けたら現場が破綻する、その薄すぎる人員配置こそが元凶だったのです。海外の投稿には、人手不足を棚に上げて「もっとチームプレーヤーになれ」と独身者に過重労働を強いる上司、「あいつは子供がいて金が要るから、少々無茶を言っても辞めないだろう」と親の弱みにつけ込む管理職、子供が救急搬送されて早退した社員を“無断離脱”として処分する会社まで登場します。
休めない親と、尻拭いさせられる独身者。立場は正反対に見えて、二人とも同じ“やせ細った職場”の犠牲者だった、というわけです。
母親に偏る「二重の罪悪感」
しかも、そのしわ寄せは母親に偏ります。日本の調査では、子供が発熱したとき主に看病するのは「妻」という回答が86.5%。夫はわずか11.5%でした。「夫の方が休みにくい」「夫の収入の方が高い」という、その場では合理的に見える判断の積み重ねが、結局は母親のキャリアを削っていきます。
そして母親たちは、「こんな時くらいそばにいたいのに仕事が気になる」という子供への申し訳なさと、「同僚に迷惑をかけている」という職場への申し訳なさ、この二つの罪悪感に同時に挟まれます。本来、子供の急な発熱は、誰のせいでもないのに、です。
もう、分断してる場合じゃない
子供の早退をめぐって、親と独身者がにらみ合う。実はこの“横どうしのいがみ合い”で、いちばん得をするのは経営の側です。怒りの矛先が同僚に向いている限り、人を増やさない会社の責任は、きれいに隠れてしまうからです。
本当に必要なのは、お互いを責め合うことではなく、肩を並べて会社にこう求めることのはずです。「誰かが急に休んでも回るだけの人員と、公平な補償を用意してほしい」と。
子供の早退に優しい職場とは、親だけが特別扱いされる職場のことではありません。独身の人の急な体調不良も、親の介護も、ペットのことも、誰の身にも起きる“予定外”をちゃんと受け止められる、余白のある職場のことです。そして、その余白をつくる責任は、いがみ合う私たちではなく、人員配置を決める側にあります。「子供の気持ちは分かります」という若手の一言は、めぐりめぐって、そこまで問いかけているのかもしれません。