同じ子どもに同じ引き算をさせて、正答率が98%から37%へ落ちる。違いは問題の中身ではなく、それが路上の商取引だったか、紙の上の数式だったかだけである。1985年にブラジルで行われたこの実験から、数学は学校の所有物ではないという研究の系譜が始まった。
1. 序論:数学的認知における文脈主義への転回
人間の数学的認知の発達と獲得プロセスは、長らく公式な学校教育の枠組みの内側でのみ評価されてきた。伝統的な認知心理学および数学教育学のパラダイムにおいて、数学的知識とは普遍的かつ抽象的な論理システムであり、教室という制度化された空間で、教師から生徒へ段階的に伝達されるべきものと見なされていた。
しかし1980年代以降、文化人類学、発達心理学、数学教育学の境界領域において、この「学校数学(School Mathematics)」を中心に据えた特権的な知識観に根本的な再考が迫られる。その原動力となったのが、「ストリート・マスマティクス(Street Mathematics)」および「エスノマスマティクス(Ethnomathematics)」という概念群である。
ストリート・マスマティクスとは、公式なカリキュラムの外側、すなわち路上での商取引、伝統的な農作業や漁業、建築現場といった日常生活の切実な実践の中で、人々が自生的に獲得し展開する数学的推論と計算戦略を指す。この領域の先駆者であるTerezinha Nunes Carraher、David William Carraher、Analucia Dias Schliemannらは、ブラジルのインフォーマル経済に従事する労働者や子どもたちが、学校で教えられる標準的なアルゴリズムを習得していないにもかかわらず、極めて高度で正確な課題解決能力を持つことを実証した。
本稿は、ストリート・マスマティクスの端緒となったブラジルの路上商人と漁師の事例を出発点に、ハイパーインフレーションという極端なマクロ経済環境下での認知適応、身体を計算媒体とする非西洋的実践、そして古代文明から現代の職人技に至る世界各地のエスノマスマティクス事例を分析する。さらに、これらの日常的・実践的数学が現代の「現実的数学教育(Realistic Mathematics Education: RME)」に与えた理論的影響と、社会階層化とエンパワーメントを巡る批判的議論を検討し、人間の数学的認知における文脈と文化の不可分性を明らかにする。
2. 実践知としての路上数学:レシフェの子どもたち
ストリート・マスマティクス研究の最も象徴的かつ基礎的な事例は、1985年にブラジル北東部の都市レシフェで行われた、路上で働く子どもたちに関する研究である。当時のレシフェでは労働人口のおよそ3割がインフォーマル経済セクターに依存しており、子どもたちも家計を支えるために青果やココナッツ、ポップコーンの販売に従事していた。
2.1 文脈への依存とパフォーマンスの劇的な差
Carraherらは、9歳から15歳までの5人の被験者(就学レベルは小学1年から中学2年程度)に対し、同一の数値と演算構造を持つ課題を3つの異なる条件で提示した。第1の条件は「路上」であり、研究者が実際の客として振る舞い、商取引の中で自然に計算を求めた。第2の条件は「文章題」で、路上の取引を模した状況を文章で示した。第3の条件は文脈を完全に排除した「計算問題」であり、純粋な数式だけを提示した。
| テスト条件 | 提示される文脈の性質 | 計算の遂行形式 | 正答率 |
|---|---|---|---|
| 路上(ストリート) | 完全な現実文脈(実際の商取引) | 口頭・実践的・物理的 | 98% |
| 文章題 | 擬似的な現実文脈(学校的状況) | 記述的・論理的 | 74% |
| 計算問題 | 文脈の完全な排除(抽象化された数値) | 形式的・記号的 | 37% |
路上での商取引において、子どもたちは98%という正答率を示した。1個35クルゼイロのココナッツを4つ買おうとする客に対し、ある12歳の少年はこう答えている。「3つで105、それに30を足して135、あと5を足して140」。数値を扱いやすい塊に分解し、組み直しながら、瞬時に正確な答えを出す。
ところが同じ子どもたちに「200引く135」という完全に同じ演算をペーパーテストの計算ドリルとして出すと、正答率は37%まで落ちた。しかも誤答の中身がひどい。引かれる数より大きな余りを平然と書く。路上であれば一秒で破綻に気づくはずの答えが、紙の上では素通りしていく。
2.2 口頭数学と書記数学の構造的な断絶
この差の背後には、「口頭数学(Oral Mathematics)」と学校で教えられる「書記数学(Written Mathematics)」の計算メカニズムの根本的な違いがある。
学校数学で標準とされる筆算などの書記的アルゴリズムは、各ステップで桁上がりや桁下がりという機械的なルールを適用する。その処理の途中、数値が持っていた物理的・現実的な意味は一時的に失効する。手続きの記憶が不完全だと、現実世界の論理とは無関係な致命的エラーがそのまま通ってしまう。
対照的にストリート・マスマティクスでは、通貨の物理的実体や商品の属性が、計算を支える外部記憶装置として機能する。引き算やお釣りの計算において、彼らは頭の中で減算を行わない。商品の代金から客が払った紙幣の額面に達するまで、手元の小額紙幣を物理的に足し上げていく。500クルゼイロを受け取って345クルゼイロの代金を引くとき、「345、350、400、500」と唱えながら硬貨と紙幣を客の手に乗せていく。
この操作は、減算が加算の逆演算であるという算術の深い代数的性質を、暗黙のうちに完全に理解し活用していることを示している。記号で書けないだけで、知らないわけではない。
2.3 初等代数的思考の発芽
その後の研究展開において、CarraherとSchliemannは、路上での算術実践が基礎的な計算スキルの寄せ集めではなく、代数学の萌芽を内包していると指摘した。彼らのアプローチによれば、代数的推論の始まりは方程式を解くことではなく、関数的関係(functional relations)の定式化と操作にある。算術の基本演算そのものが関数的性質を持っており、定義域や値域といった概念は、任意の集合のメンバーを指すプレースホルダー、すなわち変数の導入を自然に支える。
彼らが考案した「キャンディーボックス問題(The Candy Boxes Problem)」では、教師が左右の手に不透明な箱を持つ。左手の箱はジョンのもの、右手の箱はメアリーのもの。両方の箱には全く同じ数のキャンディーが入っているが、メアリーには箱の上にさらに3つのキャンディーが置かれている。
ここで子どもたちは、箱の中身の数が確定していなくても、「メアリーの総数は常にジョンの総数より3つ多い」という関係を直観的に把握できた。箱の中身をNと置けばメアリーはN足す3になる、という表現を、支援のもとで8歳の子どもが受け入れる。ストリート・マスマティクスの本質は、特定の数値に依存しない関係性の操作にある。
3. 職業が育てる比例の感覚:漁師たちの歩留まり計算
研究は路上商人にとどまらなかった。Analucia SchliemannとTerezinha Nunesは、ブラジル北東部の漁村で働く漁師たちを調査し、職業的要請がどのように独自の比例スキーマ(schema of proportionality)を育てるかを明らかにしている。
漁師たちは、水揚げした魚介の総量から、加工後の可食部がどれだけ取れるかを見積もらなければならない。殻を剥いたエビの重量、干物にしたときの魚の重量。歩留まりを読み違えれば、その日の取引はそのまま損になる。1990年の調査に参加した19人の漁師は、就学年数が0年から5年。比例が教えられるのは6年生である。つまり彼らは、学校で比例を習っていない。内項と外項の積も、分数の掛け算も知らない。
それでも彼らは解いた。「エビ18キロの殻を剥くと、剥き身が3キロ取れる。客が剥き身2キロを欲しいと言ったら、殻つきで何キロ必要か」。多くの漁師は、数値を機械的に処理する公式ではなく、量そのものを追いかけるスカラー的な解法を選んだ。数が割り切れない場合でも、計算の向きが日常とは逆、つまり加工後から加工前を逆算する形になっても、彼らの推論は崩れなかった。
この研究で最も重要なのは、転移に関する結果である。研究者らは漁師に対し、専門である漁業の比例問題と、経験のない農業の比例問題の双方を出した。もし彼らの知識が「魚」という具体物に癒着しているなら、農業問題では成績が落ちるはずだった。だが、漁業問題と農業問題の正答率に統計的な有意差は認められなかった。彼らが仕事の中で獲得していたのは、魚の縮み方についての個別知識ではなく、内容を越えて使える比例の構造そのものだったのである。
対照的に、学校で除法と比例を正式に習った生徒たちは、漁師が解いた歩留まりの問題にうまく対応できなかった。生徒が持ち出したのは授業で習った手続きではなく、彼ら自身が日常の中で培った素朴な方法だった。ここには皮肉な対称性がある。学校の外で学んだ者は学校の外の問題を越えていき、学校の中で学んだ者は学校の中の手続きを持ち出せなかった。ストリート・マスマティクスを「具体に縛られた劣化版の数学」と見なす通俗的な理解は、この時点ですでに崩れている。
4. マクロ経済の変動と認知適応:インフレ下のキャンディー売り
Carraherらの研究が文脈間のパフォーマンスの違いに焦点を当てたのに対し、文化と認知の相互作用が時間軸の中でどう進化するかを描き出したのが、Geoffrey Saxeによるブラジル北東部のキャンディー売りの研究である。
4.1 ハイパーインフレが生む巨大な数値の処理
Saxeが調査を行った1980年代後半のブラジルは、年率250%に達するハイパーインフレーションに見舞われていた。調査期間中だけでも、卸売り店におけるキャンディー1箱の価格は3,600クルゼイロから20,000クルゼイロへ跳ね上がっている。
この経済環境は、10歳から15歳のキャンディー売りの子どもたちに、学校教育のカリキュラムを遥かに逸脱する万単位の数値処理を日常的に強要した。学校に通っていない、あるいはドロップアウトした子どもたちは、アラビア数字の位取り記数法を読み書きすること自体が困難である。
そこで彼らは別の経路を作った。紙幣を認識し計算するために、数字の表記ではなく、紙幣の色や描かれた肖像といった図像的特徴(figurative characteristics)を指標として通貨の相対的価値を特定する代替的な表現システムである。彼らは通貨単位をトークンとして操作し、巨大な数値の加減算を正確に遂行した。読めない数字を、見分けのつく絵として扱ったのである。
4.2 慣習化された価格比率が課した代数の問題
キャンディーを路上で売る実践は、単なる商品と貨幣の交換ではない。子どもたちはインフレ率を考慮し、卸売りから小売りへのマークアップを算出しなければならない。さらに通貨価値の下落に伴い、小額紙幣や硬貨でのやり取りが煩雑になったため、「3個で1,000クルゼイロ」「5個で1,500クルゼイロ」といった複数個をまとめた価格設定が、市場の自生的な慣習として定着した。
この慣習は、子どもたちに比の比較という極めて高度な代数的課題を突きつける。顧客から「向こうの売り子は4個で1,200だが、君の3個で1,000とどちらが得か」と問われたとき、彼らは瞬時に単価や公倍数的な概念を用いて比率を比べ、自分の価格設定の優位性を説明するか、その場で価格を調整しなければならない。
Saxeの研究が示したのは、数学的目標が個人の頭の中で独立して形成されるのではないという点である。それはインフレーションというマクロ経済的プロセスと、それに対応するために生まれた商慣習の網の目の中で、外側から不可避的に構築される。
5. 身体・空間・環境と数学的表象:オクサプミン族の27進法
議論は、西洋的な貨幣経済の周縁部から、さらに文化的に隔絶された社会へと拡張された。Saxeがパプアニューギニアの遠隔地に住むオクサプミン(Oksapmin)族を対象に行った研究は、人間の身体そのものが計算機として機能する事例として重要である。
5.1 身体を外部記憶装置とする27進法システム
オクサプミン族は、身体の27箇所を順序立てて利用する計数システム(27-body part counting system)を伝統的に持つ。カウントは片手の親指(1)から始まり、人差し指、中指、薬指、小指、手首、前腕、肘、上腕二頭筋、肩、鎖骨、首、耳、目と進み、対称性の中心である鼻(14)を経て、反対側の目、耳、首へと下り、もう一方の小指(27)に至る。経路は完全に固定されている。
27番目の小指を指したとき、人は両の拳を宙に突き上げて「fu」と叫ぶ。これは一つの完結した群れを意味する言葉である。さらに数える必要があれば、反対側の手首(28)へそのまま続く。ただし21番目の前腕と29番目の前腕は同じ「tan besa」と呼ばれるため、どちらを指しているかは文脈が決める。
文字や粘土板といった記録媒体を持たない環境で発達したこのシステムは、数を抽象的な記号としてではなく、身体の部位に刻まれた空間的・物理的な位置情報として処理する。足し算を行うとき、たとえば鎖骨(11)に中指(3)を足す場合、彼らは脳内で数値を転がさない。自分の身体をリズミカルにたどって経路を移動し、鼻(14)という解を物理的に取り出す。
5.2 貨幣経済の浸透とシステムの変容
この伝統的システムに最大の試練と変革をもたらしたのは、1970年代以降の鉱山開発やプランテーションへの出稼ぎ、そしてトレードストアと呼ばれる小規模商店の出現に伴う貨幣経済の導入だった。
パプアニューギニアの通貨システムは、当時のシリングやポンド、のちのキナとトエヤを含めて、20進法や10進法を基数としていた。27進法の身体システムとは直接的に互換性がない。米や缶詰の売買、野菜の卸売りにおいて、お釣りの計算や大きな数の加算が必要になったとき、オクサプミン族の大人たちは既存のシステムを独創的に改変した。
元の経路を無視してショートカットする。20番目の部位で人為的に区切りを設けて計算を簡易化する。実際、1ポンド紙幣に対して左肘(20番目)を指して「fu」と言う用法まで生まれた。さらに複雑な計算を処理するため、身体の左右の対称性を使って支払い分と残り分を別々に保持する「半身戦略(halved body strategy)」や、一方の項にもう一方の項を付け加えていく「二重計数戦略(double enumeration strategy)」といった新しいアルゴリズムが自生的に発明された。16から7を引くとき、親指(1)から前腕(7)までで支払い分を示し、残りの部位を数え直して上腕二頭筋(9)を答えとして取り出す、といった具合である。
重要なのは、こうした高度な戦略を多用したのがトレードストアの店主や、貨幣経済への関与が深い層だったという点である。経済的交換の経験が浅い高齢者は、基本的な計数手続きにとどまった。数学的システムはプラトン的なイデアとして存在する不変の真理ではなく、新しい社会・経済的実践の必要に応じて絶えず再構築される文化的アーティファクトなのである。
6. エスノマスマティクスの広がり
文化や実践に埋め込まれた数学という概念は、ブラジルの数学者Ubiratan D’Ambrosioによって「エスノマスマティクス(Ethnomathematics)」という包括的な理論プログラムへと統合された。D’Ambrosioはこれを、特定の文化的集団(民族、部族社会、労働集団、専門家階級など)の間で実践されている数学と定義した。
語源の分解が彼の主張そのものになっている。多様な自然・社会・文化環境(ethno)において、生存し超越するためのニーズに応じて、説明し、理解し、処理する(mathema)ための技術や術(tics)。この3語で、数学は普遍的真理の体系から、環境に応じた道具の集合へと定義し直される。
Marcia AscherとRobert Ascher、Paulus Gerdesらの人類学的・数学史的調査により、西洋中心主義的な数学史から除外されてきた高度な実践が次々に発掘された。
| 文化・地域 | 実践の名称・形態 | 内包される数学的構造 | 実践の目的と機能 |
|---|---|---|---|
| マヤ文明(メソアメリカ) | 点と棒、貝殻記号による20進法 | 位取り記数法、ゼロ、天文計算 | 365日サイクルの太陽暦の構築、トウモロコシの播種時期の算出。 |
| インカ帝国(アンデス地域) | キープ(結び目のある紐) | 10進法、行列、スプレッドシート的データ構造 | 帝国のロジスティクス、税収、人口動態、土地割り当ての記録と管理。 |
| チョクウェ族(アンゴラ) | ソナ(砂に描く図) | グラフ理論、オイラー閉路、対称性、最大公約数 | 格子点の間を一筆書きで描くことによる神話や物語の伝承、動物の表現。 |
| マダガスカル | シキディ(占いの盤面) | 記号論理、排他的論理和、パリティチェック | 偶奇性に基づくアルゴリズムによる神託と、占い師自身による誤り検出。 |
| 日本の大工 | 規矩術と曲尺 | 無理数(√2)、円周率(π) | 角目と丸目を用いた屋根の勾配や曲線材の瞬時の墨付けと切断計算。 |
6.1 マヤ文明:環境への適応としての20進法
古代メソアメリカのマヤ文明は、手足の指の合計である20を基数とする20進法を構築した。記数法は、1を表す点、5を表す棒、ゼロを表す貝殻形のシンボルという3つの記号だけで構成され、下から上へ位が上がる配置を取る。世界で最も早くゼロのプレースホルダー概念を確立した数学は、しかし純粋な抽象理論として発達したのではない。
彼らは十字に交差させた棒切れという単純きわまる観測器具を用い、1年の長さを365.2420日と算出した。現代の平均回帰年の値は365.24219日。誤差はおよそ17秒である。1582年のグレゴリオ暦改革が採用した365.2425日より、マヤの値のほうが実際に近い。
この天文学的精度は、雨季と乾季を正確に予測し、最も重要な食糧であるトウモロコシの植え付け時期を決める、という生存戦略に直結していた。暦の美しさのために精度があったのではなく、飢えないために精度があった。
6.2 インカ帝国のキープ:行列としての紐
Marcia AscherとRobert Ascherの研究は、文字体系を持たない社会は高度な論理的・数学的思考を持ち得ないという古典的な進化論的偏見を論破した。その象徴がインカ帝国のキープ(Quipu)である。
キープは、一本の主紐から無数の副紐が垂れ下がった構造を持ち、紐の色、結び目の種類、その位置関係によって数値データを記録する。Ascherらの解析によれば、キープは厳密な10進法に基づいており、現代の行列やスプレッドシートと論理的に等価なデータ構造を持っている。インカの官僚たちは、広大な帝国のロジスティクス、人口統計、税の徴収、土地の割り当てを、この媒体で一元管理していた。高度な算術演算を、文字ではなく結び目という三次元の触覚的構造にエンコードしていたのである。
6.3 ソナの砂絵と規矩術:道具に結晶した数学
Paulus Gerdesは、アンゴラを中心に住むチョクウェ族の砂絵ソナ(Sona)に、オイラー閉路や対称性といった構造が内包されていることを示した。ソナは、砂の上に規則的な点の格子を描き、その点を交差させることなく一本の連続した線で囲んでいく技術である。Gerdesの分析では、図の構成に最大公約数の性質が関わっており、一部の図形群はユークリッドの互除法と同じ手続きで生成できる。西洋の数学史でレオンハルト・オイラーがケーニヒスベルクの橋の問題から創始したとされるグラフ理論を、別の経路で先取りしていたことになる。
日本の大工が用いる規矩術と曲尺も、数学的真理が道具と身体動作の中に結晶した事例である。曲尺の裏面には、表の目盛りに対して無理数である√2を掛けた角目と、円周率πで割った丸目が刻まれている。大工は三角関数や無理数の計算式を紙の上で展開しない。曲尺の当て方だけで、丸太から取れる最大の正方形の寸法や、複雑な屋根の接合部の角度を瞬時に導き出す。抽象的な数学的関係が、金属の目盛りという物理的な形を借りて保存され、継承されている。
7. 学校教育の変革:現実的数学教育(RME)への展開
ストリート・マスマティクスやエスノマスマティクスの知見は、教育現場の指導パラダイムに再構築を迫った。その最も成功した枠組みの一つが、オランダの数学者Hans Freudenthalを源流とする「現実的数学教育(Realistic Mathematics Education: RME)」である。
7.1 数学化という2つの運動
Freudenthalは、数学を「完成され、教え込まれるべき知識の体系(ready-made mathematics)」としてではなく、人間の活動(human activity)として捉えるべきだと主張した。この発想を教育設計の言語に落とし込んだのがAdri Treffersで、彼は1970年代から80年代にかけて、数学化(mathematizing)を2つの方向に腑分けしている。Freudenthalは後にこの区別を自身の理論に取り込んだ。
一つは水平的数学化(horizontal mathematization)で、生活世界や現実の現象から出発し、それを数式や図式、モデルといった数学の記号世界へ翻訳・定式化する運動を指す。もう一つは垂直的数学化(vertical mathematization)であり、記号化された世界の内部で、より抽象的なアルゴリズムや形式的数学へと推論を再編成・深化させていく運動を指す。前者は現実から記号へ、後者は記号から記号へ向かう。
7.2 インフォーマルとフォーマルを繋ぐモデルの役割
ストリート・マスマティクスは現実の問題解決において強力であり、漁師の研究が示したように、内容が変わっても推論が崩れるとは限らない。しかしそこには別種の限界がある。生活実践の中で育った推論は、必ずしも記号体系として外在化されず、他者が検証できる形式や、既存の数学的知識体系と接続する形式を持たないのである。学問や技術の世界で流通している形式的数学へ接続するには、やはり橋が要る。
RMEは、学習者がすでに獲得しているインフォーマルな数学的知識を排除せず、学習の出発点として積極的に活用する。教育的介入を通じて、学習者が直面する現実的状況に根ざしたモデル(model of)をまず構築させ、それが徐々に一般性を獲得して、新しい数学的推論を行うための抽象的ツール(model for)へ進化するよう導く。
このガイドされた再発明(guided reinvention)のプロセスは、ストリート・マスマティクスが持つ意味の豊かさを保持したまま、学校数学の汎用性と抽象性を獲得させるための架け橋となっている。
8. 政治的実践と批判的視座
エスノマスマティクスとストリート・マスマティクスは、教育学的アプローチを超えて、社会階層、権力構造、マイノリティのエンパワーメントに関わる政治的な議論を呼び込んだ。
8.1 土地なし農民運動と、社会変革のための数学
D’Ambrosioは、数学的リテラシー(matheracy)が単なるスキルの獲得を超え、人間と社会についての反省とデータ管理に基づく社会批判の道具であるべきだと主張した。この理念を最も実践的な形で体現したのが、ブラジルの研究者Gelsa Knijnikによる土地なし農民運動(MST: Landless Workers Movement)での成人教育である。
ブラジルでは少数の地主が広大な土地を独占しており、MSTの農民たちは未利用地の占拠を通じて農地改革を求める闘争を続けてきた。Knijnikは、農民が土地の面積を測り、木材の材積を見積もる際に用いる独自の計算法を正当な知識体系として肯定し、彼らの自己肯定感を回復させた。
ただし彼女はそこで止まらない。地主や政府から搾取されず、法的な交渉の席に着くためには、権力側が用いる公式の数学、すなわち西洋の標準的な測量法や幾何学も習得する必要がある。異なる二つの数学の境界を越えること。彼女のアプローチは、数学を社会的抑圧に抗うための実践的な武器に変えた。
8.2 Dowlingによる社会学的批判とロマンチック化の危険
一方で、非西洋の文化的実践を数学と名付けカリキュラムに導入する潮流に対し、社会学者Paul Dowlingから鋭い警告が発せられている。
Dowlingの批判の第一の矢は、エスノマスマティクスが孕む西洋的まなざしの投影に向けられる。特定の民族が行うバスケット作りや砂絵の描画は、当事者にとっては神話的・宗教的、あるいは芸術的な全体的経験として存在している。そこからオイラーのグラフ理論や幾何学のアルゴリズムだけを抽出し、これこそがあなたたちの数学だと名付ける行為は、結局すべてを西洋の分析的枠組みで切り取ることにほかならない。Dowlingの言い方を借りれば、エスノマスマティクスは非ヨーロッパの文化実践を西洋数学の用語で記述することによってのみ称揚に成功しており、その過程で当の実践から社会的・文化的な固有性を剥ぎ取っている。
第二に、より深刻な教育的・政治的危険が指摘される。マイノリティの児童に対して、これがあなたたちの文化に根ざした数学だとして、ストリート・マスマティクスや伝統的実践のみを強調して教えることは、結果的に彼らを知の権力構造から締め出すことになりかねない。近代社会における高度な技術職、科学研究、マクロ経済の意思決定に不可欠なのは、文脈から切り離された強力な形式的数学である。エスノマスマティクスを過度にロマンチック化し、社会的弱者を形式的数学へのアクセスから遠ざけることは、意図せずして不平等な階層の再生産を助長するリスクを抱えている。
9. 結論
本稿で詳述したストリート・マスマティクスおよびエスノマスマティクスの研究群は、数学とは何か、人間はどのように数学的知識を獲得するのかという問いに、不可逆的な転換をもたらした。
レシフェの路上商人による計算戦略、インフレーションと闘いながら価格比率を操作したキャンディー売り、貨幣の導入に応じて身体計算システムを作り変えたオクサプミン族、そしてマヤ、インカ、日本の職人たちの歴史的実践。これらが示すのは、数学がイデア界に浮かぶ無機質な記号体系ではなく、人間の生存、経済活動、環境への適応要求から生み出され続ける生きた文化的営為だという事実である。
ストリート・マスマティクスが示す、現実に紐づいた強靭な推論力。学校数学が提供する、文脈から独立した汎用性と抽象性。この二つは排除し合う関係にはない。RME理論が提唱するように、教育のプロセスは、学習者の豊かなインフォーマルな知識を正当な資産として評価し、それを足場として形式的数学への移行を促すものでなければならない。
同時に、数学的知識の定義と分配は、常に権力と結びついている。Dowlingの批判とKnijnikの解放的実践が示唆するように、文化的アイデンティティを尊重しつつ、学習者が現代社会の知的資源にフルアクセスするための普遍的な数学的リテラシーを保証すること。これが今後の教育と社会政策における最大の課題である。
ストリート・マスマティクスの最大の功績は、誰が数学を所有しているのかという問いへの答えを書き換えたことにある。それは西洋の特権的な学者や学校の教室だけのものではない。路上で日々の糧を得る子どもから、砂地に図形を描く長老まで、人間の知の営みの中に遍在している。