「死んだはずが実は生きてる有名人」生存説の背景にあるものは?

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有名人が亡くなると、時折「実はまだ生きている」という噂が立ち上がることがあります。それが現実離れしているからこそ、我々の想像力をかき立て、魅了されるのかもしれません。今回は、そんな「死後も生存説が囁かれた有名人たち」を取り上げ、世界的に広まった奇妙な噂をまとめてみました。

エルヴィス・プレスリー:ハンバーガーと庭仕事の目撃情報!?

ロックの王様エルヴィス・プレスリーは、1977年に亡くなったとされていますが、彼がどこかでひっそりと生きているという説が根強く存在します。世界中で「エルヴィスらしき人物」が目撃されたとの報告が続出。レストランでハンバーガーを注文している姿や、庭の手入れをしている様子が目撃されたとか。陰謀論者たちは「プレッシャーから逃れるために死を偽装した」という説を提唱し、さらには「エルヴィスは生きている」ビジネスまで誕生しています。そっくりさんコンテストや目撃情報をまとめた本など、一部の人々にとっては経済効果も生んでいるようです。

マリリン・モンロー:消えたセクシーアイコン

1962年に亡くなったマリリン・モンロー。公式には自殺とされていますが、政治的な陰謀に巻き込まれて殺害されたという他殺説が根強く存在します。大統領ジョン・F・ケネディやその弟ロバート・ケネディとの親密な関係が取り沙汰され、彼女が注目の的になりすぎたために自殺を偽装して逃げたのではないかという噂もあります。死後も「マリリンに似た女性」が目撃されたという報告が後を絶たないことが、この生存説に拍車をかけているのです。

ジョン・レノン:音楽活動を続ける“別人”

ジョン・レノンは1980年に熱狂的なファンに射殺されましたが、「平和活動家としての命が危険に晒され、死を偽装したのではないか」という説があります。さらに、彼が別人として音楽活動を続けているという噂まで広まっています。どこかでギターを持ち、新しい曲を作り続けているジョンの姿を想像するファンも少なくありません。

ダイアナ妃:王室からの逃避行?

1997年にパリで亡くなったダイアナ妃。その死は交通事故とされていますが、イギリス王室や政府による陰謀によって殺害されたという説もあります。彼女が当時交際していたエジプト人男性との結婚を王室が認めず、それを阻止するために事故が偽装されたという見方です。「ダイアナ妃はどこかで生きている」という生存説も、彼女の魅力に取り憑かれたファンたちの間で広まりました。

マイケル・ジャクソン:借金から逃れるための偽装死?

2009年に亡くなったポップの王者マイケル・ジャクソン。死後も「マイケルに似た人物」の目撃情報が後を絶たず、借金やスキャンダルから逃れるために死を偽装したという説があります。さらには、彼の名前で新曲が発表され続けているため、一部のファンは「彼はまだ生きていて、どこかで音楽を作っている」と信じています。

他にもいる!? 生存説が囁かれる有名人たち

エルヴィスやマリリンだけでなく、生存説が囁かれている有名人は他にもたくさんいます。

2pac・シャクール:1996年に銃撃されましたが、その後も未発表曲のリリースや目撃情報があり、「実は生きているのでは?」という噂が絶えません。

カート・コバーン:ニルヴァーナのボーカルで、1994年に自殺とされましたが、他殺説や生存説がいまだに残っています。

ブルース・リー:1973年に急死したアクションスターも、生存説が根強くあります。

ジム・モリソン、ジェームズ・ディーン、アンディ・カウフマンなど、若くして亡くなったカリスマたちも例外ではありません。

アドルフ・ヒトラー:1945年に自殺したとされるものの、その遺体の状況から生存説が囁かれています。

日本の有名人も? 美空ひばりから尾崎豊まで

日本でも、有名人の死後に生存説が浮上することがあります。

美空ひばり:1989年に亡くなりましたが、「病気療養のため海外に渡り、別人として生きている」という噂が流れました。

hide(X JAPAN):突然の死に衝撃を受けたファンたちは、自殺ではなく事故や他殺だったという説や生存説を語り続けています。

尾崎豊、石原裕次郎など、人気絶頂期に亡くなった人々にも生存説が流れています。

生存説の背景にあるもの

これらの生存説が生まれる背景には、彼らの死があまりにも衝撃的であること、そしてファンが彼らの死を受け入れられない心理が存在しています。インターネットやSNSの普及も、このような噂の拡散に一役買っていると言えるでしょう。真偽は定かではありませんが、これらの説は彼らがいかに人々に愛されていたかを示すものでもあります。

死後もなお「生き続ける」有名人たち。その存在が私たちの心に与える影響は計り知れません。彼らがどこかで平穏に暮らしていると信じることで、私たちは少しでも現実の辛さを和らげているのかもしれませんね。