「TOKYO CACAO」という今もっとも注目されているチョコレートをご存知だろうか。これは史上初となる東京産(東京・小笠原諸島の母島で栽培)のカカオ豆から作られたもの。チョコレートのOEM生産で知られる平塚製菓が、16年ごしの夢をついに形にしたものだ。
“チョコレート屋のオヤジの夢”「東京カカオプロジェクト」
平塚製菓は創業1901(明治34)年の老舗で、1931(昭和6)年から東京市下谷区でチョコレートの製造を開始。現在は埼玉県草加市の自社工場でOEM商品としてチョコレートやクッキー、ウエハースなどの菓子を製造している。そんな堅実なイメージの同社が、なぜ未曾有のプロジェクトに挑んだのか。
きっかけは同社の平塚正幸社長(69)がチョコレート原料の視察にアフリカ・ガーナを訪問。現地で栽培されていた本物のカカオの樹とその果実に大きな感銘を受けたことだった。経営は上向きだが、それだけではいけないのではないかと思っていた平塚社長の心に、このカカオの樹は大きな印象を残した。
そして始まったのが日本でのカカオ栽培計画「東京カカオプロジェクト」。社内からは無理なのではないか、商業的にいかがなものかといった反対の声もあがったが、平塚社長は「チョコレート屋のオヤジの夢」としてプロジェクトを遂行。
カカオの栽培は「カカオベルト」とよばれる、赤道をはさんで北緯20度から南緯20度の範囲内で、年間平均気温27度、年間降水量1000mm以上といった条件の土地ではないと上手くいかないとされている。そのため、アフリカや中南米が主な産地だ。東京はもとより小笠原諸島とはいえ、無謀な取り組みだったことは間違いない。
リサーチを重ね、ようやく2010年に初めて種を千粒植えたが、これは全滅。それでも諦めずに母島の「折田農園」と協力して栽培方法を研究し、3年後にカカオの実の収穫に成功した。またカカオは5メートルにもなるため大きなサイズで、日照量も調整できるビニールハウスも建設。また土作りにも大きな努力を要したという。
少しずつカカオが取れるようになったものの、生の豆をチョコレートに加工するために必要な工程である、発酵や乾燥でも苦労の連続だったという。試行錯誤した結果、2015年に東京産となるチョコレートを作り上げることができるようになった。現在は約500本のカカオを栽培しており、年間1トン程度の豆を収穫できるという。
酸味がきいてフルーティーな味わい
そんな“チョコレート屋のオヤジの夢”の結晶である「TOKYO CACAO」。カカオの栽培から製品化まで全ての工程を自社で行なった前代未聞のチョコレートがついに販売となった。
収穫したばかりの生カカオがフレッシュな状態のうちに発酵・乾燥をさせており、原材料はカカオバターは使わず、70%がカカオ、30%は北海道の甜菜糖、少量の乳化剤となっている。実食したが、チョコレートはフルーティーで酸味の効いた味わいで、これまでにはない美味しさだ。
また見た目にもこだわっており、東京の伝統工芸である江戸切子をモチーフにした格子柄をあしらっており、見た目も美しい。価格は1箱3,000円(税別)とやや高い印象があるが、“東京産”であることを考えれば、仕方のない値段だろう。販売数は2万個を予定しており、9月17日より公式オンラインストアにて予約受付を開始。11月1日より順次発送となる。
(追記 メディア発表会では夢が形になった「TOKYO CACAO」についてにこやかに、そして熱く語った平塚社長が印象的だった。「チョコレート屋のオヤジの夢」という飾らない言葉がかっこよくて、シビレました!)。