タダで何か食べられるほど世の中は甘くない。お金がなければ、その辺の草や生き物を食べるか、野生の木の実でも見つけに野山に分け入るしかない。だが、ほとんど唯一といっていい例外に、スーパーの試食がある。タダで、店のイチオシの食べ物が食べられる素晴らしいサービスである。
しかし、試食はその後に買ってもらうことが期待されているわけで、店員もそう簡単にはタダ食いさせてくれない。口に含むやいなやセールストークが始まり、立ち去ることへの罪悪感などを刺激しながら購入を促す。その鮮やかな手練手管に弄され、買う気の無かったものをカゴに入れてしまったという経験は一度や二度ではないはずだ。
「よく、店員はいちいち試食して買わなかった人なんて覚えていない、という意見を耳にしますけど、あれは嘘ですね。毎日働いていれば、レジに来る大量のお客さんだって覚えちゃうくらいですから、試食しに来た人も覚えてますよ。常連さんならなおさらです」と話すのは、都内のスーパーでアルバイトをするAさん(主婦・54歳)。彼女はセールストークが上手なことを買われて、1日7時間週5日のほとんどの時間を試食コーナーで過ごす。
「別にいくら食べられても私が払うわけじゃないから構わないんだけど、さすがに毎日のように来て、しかも何度もつまみに来られると、この人これが食事なのかしら、って思っちゃいますよね。ここだけの話、スタッフの間でも話題になります。休憩時間に「あの人また来てたわよ」って(笑)」(Aさん)
Aさんによれば、彼(彼女)らには共通の振る舞い方があるのだという。
「基本的に『いつも試食をしに来る人』とは認識されていない、という自信満々の顔をしているんですが、近づいて楊枝に手を伸ばす瞬間に恥じらいの表情が浮かぶんです。気取って試食して、しかも最初から買う気がないのがバレバレ、というのは最高に格好悪いのでやめた方がいいですよ」(同)
一方、気持ちのいい食べ方をしていく人は、商品を買わなくても好印象なのだという。
「同じ買う気ゼロでも、豪快に口に放り込んで「ごちそうさま」って一言残して去っていく方がよほど潔いと思いますね」(同)
「女の人は、男が自分の胸を見ていることに気づいている」というのはよく言われることだが、試食も同じだ。あなたの心の内は見透かされている。つまみ食いとプライドを両立させたい試食紳士や試食婦人は肝に銘じておくべきだろう。
(文/網羽 翼)