任侠から人情まで幅広い作品に出演した名優、高倉健(本名 小田剛一)さんが、今月10日、悪性リンパ腫のため死去した。83歳だった。実直すぎる性格だった高倉さんが、息抜きするためにひそかに訪れた、珈琲店がある。
スターとしての自覚からほとんど私生活をみせず、それは食においても。東京や京都などに行きつけの飲食店がわずかにあった程度だ。そんな高倉さんが、時たまコーヒーを飲んでいたのが、東京タワー近くにある「横濱屋」だ。
東麻布側の“東京タワーのふもと”、雑居ビルの地下にある店で、気を抜いていると、通りすぎてしまう。
今年で創業32年になる老舗喫茶店で、作家の池波正太郎も晩年まで執筆活動のために訪れていたという店だ。珈琲だけではなく、タルトタタンやハヤシライスが美味いことでも知られている。
高倉さんがある時、「前から気になっていたんだよ」とふらりと訪れ、以来、時たまここでコーヒーを飲むようになった。いつも店のすみに控えめに座り、「コーヒーを」「ごちそうさま」と言葉少なに1杯を楽しんで、さっと帰っていったという。
その作品のように、店内は落ち着いて静謐で、コーヒーはしみじみ苦い。池波正太郎師、そして健さんを失った店はどこかさみしそうだった。
横濱屋/東京都港区麻布台1丁目11−2
文/高野景子